🧬 長寿は、100兆円企業を生むのか

長寿がもたらす価値は大きい。では、その価値は誰の利益になり、どんな企業の成長を支えるのか。
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おくさん
2026/10/28

馬田隆明さんの「100兆円スタートアップを作るには?」という記事が面白かったので、今回は老化・長寿を、企業の大きさという視点から考えてみたいと思います。

馬田さんは、企業の規模が大きくなるにつれ、解く課題も変わると整理しています。

  • 1000億円 - 国内社会や既存企業のかなり大きな課題を解決する
  • 1兆円 - 世界の大きな課題を解決する
  • 10兆円 - 国内規模の産業やインフラを作る
  • 100兆円 - 世界規模・人類文明のインフラを作る

この規模感で考えたとき、100兆円企業の候補に挙がるのが、AIやLongevity(長寿)です。

健康に生きられる時間を増やせるなら、その価値は確かに大きいでしょう。本人の暮らしだけでなく、家族の介護、働き方、学び直しにも関わります。ただ、ここには一つ、考えておきたいことがあります。

長寿の価値が大きいことと、長寿を手がける一社が巨大になることの間には、大きなギャップがあるように思うのです。 健康で過ごせる時間が増えれば、多くの人が恩恵を受けます。でも、その恩恵のうち、どれだけが企業の売上になり、開発や供給の費用を払った後に利益として残るのでしょうか。

社会に価値を生む技術から、大きく育つ企業へ。その間をつなぐには、何が必要なのでしょうか。

以前の記事では、健康寿命の価値を誰が、何に対して支払うのかを考えました。今回は、その先です。治療ができ、実際に使われるようになったとして、その成果はどの企業の強みになり、利益はどこに残るのでしょうか。

目次

  1. 長寿は、100兆円企業を生むのか
  2. 一つの病気から、どこまで広がるのか
  3. 一度の成功は、次の開発に何を残すのか
  4. 治療が成功したとき、誰の利益になるのか
  5. 長寿が広まったとき、利益はどこに残るのか
  6. 長寿分野の企業を見るとき、何を確かめたいか

1. 長寿は、100兆円企業を生むのか

馬田さんの記事では、その背景として、米国のベンチャーキャピタル、a16zによる大規模な資金調達に触れられています。2026年1月の発表では、調達額は150億ドル超。そのうちBio + Healthは7億ドルです。

馬田さんは、約2.3兆円のファンドについて「10年後に3倍のリターンを狙うとすると」と仮定し、約7兆円の回収が必要になると説明しています。この規模感を、計算してみると、

  • 必要な回収総額:2.3兆円 × 3倍 = 6.9兆円(約7兆円)
  • 100兆円企業の株式を3%保有する場合:株式価値は3兆円
  • 1000億円企業の株式を20%保有する場合:株式価値は200億円

3%の例は、記事に基づいて計算したものです。実際には複数の投資先や持分の希薄化も関わりますが、企業価値の全額がファンドに戻るわけではありませんが、100兆円級の企業でも、持分によっては一社だけで必要な回収額に届きません。ファンドが大きくなるほど、求められる成功の規模も大きくなるわけです。

ただし、資本が大きな成功を必要としていることは、その成功が実現する証拠とはなりません(当たり前ですけど)。長寿にその可能性を見いだすなら、生物学と事業の両方から考える必要があるわけです。

まず、生まれうる価値の大きさを見てみます。

2021年のNature Agingの経済分析は、米国で老化の進行を遅らせ、平均余命を1年延ばすことの価値を、約38兆ドルと推計しています。健康や余暇も含め、人々がその改善にどれだけの価値を見いだすかをモデルで評価したものです。

私がこの研究で興味深いと思うのは、金額以上に、健康と長寿の関係です。健康で過ごせるなら、増えた時間の価値も高くなる。さらに健康を改善することの価値も高まる、というのがこのモデルの見方です。研究では、こうした相互作用を考えています。

けれども、その価値が丸ごと企業の収益になるわけではありません。家族と過ごせる時間には価値がありますが、その時間すべてに薬代を払うわけではないからです。

そこで、ここでは三つを分けてみようと思います。

  • 社会的な価値:健康や時間が増えることで、人々が得る便益。
  • 企業の利益:製品やサービスの対価から、開発・製造・販売などの費用を差し引いたもの。
  • 時価総額:将来の収益やリスクなどに対する、市場の評価。

三つは関係しています。ただ、その間をつなぐ仕組みを省いてしまうと、大きな数字から別の大きな数字へ飛び移るだけの、空疎な市場論になってしまいます。

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2. 一つの病気から、どこまで広がるのか

では、長寿研究には、従来の医薬品開発を超えるどんな可能性があるのでしょうか。

老化研究の魅力は、病気を一つずつ追うだけでなく、複数の病気に関わる変化へ働きかけようとしている点にあります。細胞の機能低下や慢性炎症、遺伝子の働き方の変化などです。老化の特徴を整理したCellのレビューは、これらが互いに関わり合っていることを論じています。共通する仕組みに介入できれば、効果が一つの病気にとどまらないかもしれないわけです。

こうした老化への介入を、人で確かめる試験も始まっています。

Life BiosciencesのER-100は、遺伝子の働きを調節する三つの因子を使い、細胞の機能回復を目指す治療候補です。「部分的なリプログラミング」と呼ばれる方法の一つで、現在の試験対象は視神経の病気です。

同社の2026年10月8日の発表によると、緑内障患者3人で、投与後56日まで治療に耐えられるかを調べる「忍容性」を評価し、良好だったと報告されています。また、3人のうち2人に、視野改善の予備的な兆候が見られたとしています。

これは第1相試験の少人数・対照群なしの初期観察であり、有効性や長期安全性の検証はこれからです。それでも、細胞の機能回復を目指す方法が人での検証に進んだことは、次の可能性を考える足がかりになります。

ここで気になるのが、目の治療をつくる過程で得たものが、次の治療をどこまで支えるのか、ということです。別の臓器を治療するときにも使える技術が残るなら、一度の開発が次の開発を助けます。一方、薬の届け方も、安全性の確かめ方も、その都度つくり直す必要があるなら、話は変わってきます。

一つの治療をつくった後、次の治療では何を生かせて、何をつくり直すのか。 ここに、長寿研究の広がりが企業の成長につながるかどうかの分かれ目がありそうです。

3. 一度の成功は、次の開発に何を残すのか

生物学上の共通点があっても、薬の開発工程まで共通になるとは限りません。

ER-100は眼内へ投与する治療候補です。別の臓器を対象にするなら、必要な細胞へどう届けるか、どの程度働かせるか、望ましくない変化が起きないかを、改めて確かめる必要があります。同社も別の臓器への展開では、適切な送達方法や前臨床での検証を進める方針を示しています。展開の計画と、展開に成功することは分けて読む必要があります(当然ですけど)。

横展開の難しさとは別に、最初の病気で期待される効果を示せるかという関門もあります。別の技術ですが、老化細胞を標的にした治療の試験は、その難しさを示しています。

老化細胞を標的とするUBX1325のASPIRE試験では、糖尿病黄斑浮腫の患者52人を対象に、既存薬アフリベルセプトと比較しました。2025年5月の発表では、36週時点で非劣性、つまり事前に定めた範囲で既存薬に劣らないことを示した一方、主要評価項目だった20週と24週の平均では、その基準を満たせませんでした。

これを「まったく効かなかった」と読むのも正確ではありません。しかし、改善が観察されることと、比較試験で必要な証拠がそろうことは違います。機序の面白さだけで、その距離は埋まりません。

この点、私は「複数の病気を対象にしています」という企業の説明を読むとき、対象疾患の数に加えて、次の区別を見るようにしています。

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技術や経験が蓄積しても、新しい対象での検証が不要になるわけではありません。それでも、次の試験をよく設計できたり、無駄な候補を早く捨てられたりするなら、価値はあります。重要なのは、どの技術や知見を次に生かせるのか、それによって開発期間や費用がどう変わったのか、という点です。

同じ老化の仕組みを狙えるとしても、別の病気の治療を開発しやすくなるかは、さらに慎重に確かめる必要があります。

4. 治療が成功したとき、誰の利益になるのか

ここまでは、一つの治療で得た技術や知見を、次の開発へ生かせるかを考えてきました。では、実際に治療が成功し、用途が広がったとき、その成果はどの企業の収益になるのでしょうか。ここからは、効果を示す力に加えて、つくる力、届ける力、そして利益を受け取る契約へと目を向けます。

その関係を考える手がかりになるのが、GLP-1受容体作動薬のセマグルチドです。Wegovyは、この成分を使った製品の一つ。注目したいのは、一つの分子の用途を広げながら、患者へ届ける事業をどう育てているかです。

FDAは2024年3月、Wegovyの適応を拡大しました。心血管疾患があり、肥満または過体重の成人で、重大な心血管イベントのリスクを減らすためです。根拠になった1万7,600人超の比較試験では、心血管死・心筋梗塞・脳卒中の発生割合は、投与群6.5%、プラセボ群8.0%でした。

同じ分子で、別の健康上の便益を示せた。これは大きな成果です。同時に、その便益を確かめるために、大規模な試験を行っています。用途が広がることは、追加の検証が不要になることではありません。

供給にも投資が必要です。Novo Nordiskの2025年年次報告では、有形固定資産への設備投資は601億デンマーククローネ(約1.4兆円)。原薬製造や充填などの能力増強を進めています。全額がセマグルチド専用という意味ではありませんが、分子の価値を患者へ届けるには、供給する能力も必要だと分かります。

こうした開発・製造・販売を自社で担う道もあれば、他社と分担する道もあります。分担する場合には、誰が何を担うかだけでなく、成功したときの利益をどう分けるかが重要になります。mRNAワクチンの契約は、その違いが見える例です。

今となっては少し昔のような気がしてしまいますが、BioNTechとPfizerは、2018年にインフルエンザワクチンの共同開発を発表しました。BioNTechが受け取る対価には、開発の進捗に応じた支払いに加え、販売に至った場合のロイヤルティが含まれます。一方、新型コロナワクチンでは、Pfizerの開示に粗利益を50%ずつ分ける仕組みが示されています。契約の対象地域での取り分であり、売上を半分ずつにするという意味ではありません。

技術を提供して販売に応じた対価を得るのか、共同事業の利益を分けるのかで、成功後の収益の受け取り方も変わります。契約条件が違う理由までは、資料だけでは断定できません。技術の応用先が増えることと、その企業が受け取る利益が増えることは、分けて考える必要があるのでしょう。

長寿分野でも、発明した会社、臨床試験を進める会社、製造する会社、販売する会社が分かれる可能性があります。研究が成功したとき、その先へ進む能力を誰が持ち、どの条件で協力するのか。そこまで見ないと、成果がどの企業の利益になるかは分かりません。

5. 長寿が広まったとき、利益はどこに残るのか

開発から製造・販売までを誰が担うかによって、産業の姿も変わります。分業が進むとは限りません。研究開発、製造、販売を一社の中にそろえる垂直統合によって、少数の企業が大きく育つ可能性もあります。

  • 分業する場合:各社の専門性を生かせる一方、役割分担と契約が、それぞれの利益を左右する。
  • 垂直統合する場合:開発から供給までを一体で動かせる一方、設備投資や販売の負担も自社で引き受ける。

どちらが有利かは、必要な資金、技術の共有しやすさ、製造の難しさなどによって変わるでしょう。そして、どちらの形でも残る問いがあります。

治療が広く使われ、競争が増えた後にも、その企業は利益を確保できるのでしょうか。

セマグルチドの事業には、使われる量が維持されても、受け取る価格が下がった例があります。Novo Nordiskの2026年上期決算は、第2四半期のカナダ事業について、セマグルチドの独占権を失った後、販売数量がおおむね安定する一方、実現販売価格が下がったと報告しています。薬が使われ続けることと、企業が以前と同じ価格を受け取れることは別なのです。

これは同社の事業全体が失敗したという話ではありません。同じ決算で、世界全体の上期調整売上高は為替一定で2%増えています。臨床上の価値、販売数量、価格はそれぞれ動く。その組み合わせが、収益を決めます。

ここからは私の仮説ですが、長寿分野で大きな企業が育つかを考えるなら、「使われるほど何が蓄積するのか」に加え、「他社も同じことができるようになったとき、何が残るのか」を問うべきだと思います。

公開・共有された知見は、業界全体の開発を助けるかもしれません。製造の経験が自社の品質や費用に結びつくなら、その会社に強みが残る可能性があります。ただし、設備を持つこと自体が利益の保証にはならず、需要に見合わなければ負担にもなります。

では、どんな場合なら大きな企業へ育つのでしょうか。共通の技術を使う治療が増えるほど、開発と供給の能力が高まり、そこで得た利益を次の治療に回せるなら、一つの成功が次の成功を支える事業になるのではないでしょうか。

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垂直統合で少数の企業が成長する道も、複数の企業が役割を担う道もあります。そう考えると、文明のインフラになることと、それを担う企業が100兆円規模になることは別です。普及が進んで競争が増え、価格が下がることで、健康の恩恵が広く届く道もあるでしょう。

長寿が社会にとって成功する未来と、長寿分野から100兆円企業が生まれる未来は、重なりうる。しかし、同じ未来ではありません。

6. 長寿分野の企業を見るとき、何を確かめたいか

ここまで見てきたのは、治療の効果、次の開発への蓄積、利益の分配、そして供給という四つの側面です。分業で育つ企業でも、垂直統合で育つ企業でも、この四つをつなげて見ると、長寿への期待がどこまで事業として形になっているのかを考えやすくなります。

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一社でケイパビリティをそろえるのか、提携で補うのか。その選択も含めて、成果を次の治療へつなげられるかを見ていきたいと思います。また、一つの優れた治療だけで大きな事業になる可能性もあります。横展開は、巨大企業になるための唯一の道ではありません。

それでも、馬田さんの記事から長寿の未来を考えるうえで、私はこの問いを持っておきたいと思います。

一つの治療が成功したとき、その先にどんな治療を、誰が、以前より確かに届けられるようになるのか。

その答えが具体的になるほど、「長寿は大きな市場になりそうだ」という期待は、どの研究に資金を投じ、どの能力を育てるべきかという判断に近づきます。長寿の価値を語るだけでなく、その価値を繰り返し人へ届けられる企業が育つ。そこまで見えてきたとき、「文明のインフラ」という言葉にも、実感が伴うのではないでしょうか。

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