💰 「博士がいるVC」vs「サイエンスで決めるVC」
質問を聞けば、その投資家が何を怖がっているのかは、大体わかるものです。
市場規模を怖がっている人は、TAMを聞きます。資金調達を怖がっている人は、次のラウンドまでのランウェイを聞きます。経営チームを怖がっている人は、採用計画を聞きます。
前回の記事では、老化・長寿研究について、「サイエンス・資本・制度が同じテーブルにつき始めたから面白い」と書きました。では、そのテーブルで資本を配る側は、サイエンスの不確実性をどう扱っているのでしょうか。
実際のところは、サイエンスも、資本も、制度もどれも大切です。ただ、バイオ、とりわけ老化・長寿の会社を評価するとき、私が最初に聞きたいのは少し違います。
その表現型は、本当に狙った作用機序から生じたのでしょうか。マウスで延びた寿命は、人を対象にしたとき、何を意味するのでしょうか。そのバイオマーカーは臨床アウトカムを予測するのでしょうか。いま一本だけ「この仮説は間違っていた」と分かる実験をするとしたら、何をするのでしょうか。
米国のバイオ投資家の公開発信や、彼らが起業家へ投げる問いを見ていると、こうした質問がかなり早い段階から出てくるように感じます。一方、日本では事業計画や市場、Exitの質問が先行し、サイエンスの一番痛いところに触れる問いが後ろへ回る場面が少なくない——これが、私がこのテーマを考え始めたきっかけでした。
で、私は、その差の一部は「日本のVCには博士号を持つキャピタリストが少ないからではないか」と思っていました。
調べてみると、この見立ては半分当たり、半分間違っていました。今回はそんな話をしてみようかと。
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日本のバイオVCに、博士は本当に少ないのか
まず、産業全体の土台には確かに差があります。
文部科学省の「博士人材ファクトブック」によれば、産業界の研究者に占める博士号保持者は、日本が4.2%、米国が10.6%。医薬品産業に限っても日本17.2%、米国28.4%でした。博士課程修了者が民間企業へ就職する割合も、日本36.1%に対し米国46.7%と差があります。
ただし、比較年や統計定義は完全には同じではありません。そして、これはVC投資担当者の統計ではありません。今回かなり探しましたが、日本と米国のバイオVCでPhD比率を比べた信頼できる公開統計は確認できませんでした。ここを産業全体の数字から推定して断言するのは危険です。
さらに個別の専門VCを見ると、「日本には博士VCがほとんどいない」という言い方は明らかに雑なのではないかという気もしてきました。Fast Track InitiativeではCEO兼Managing PartnerとCOO兼Managing PartnerがPhDを持っています。D3 LLCにもPhDのPartner/COOがいます。Beyond Next Venturesにも創薬・バイオを担当する博士人材がいます。
少なくとも、日本の専門バイオVCに博士が「いない」わけではありません。
この時点で、私は最初の仮説を少し撤回しなければなりませんでした。人数だけを数えて日本の弱さを語ると、すでに存在する専門家を見落とすことになります。それ以上に、「博士がいること」と「サイエンスで意思決定すること」を混同してしまいます。
博士号があれば、投資パフォーマンスは上がるのか
では、博士号を持つVCのほうが投資成績はよいのでしょうか。
ここは期待したほど単純ではありませんでした。調べた限りでは、バイオVCのPhD保有によって、ファンドのIRRやTVPIが上がることを示した信頼できる直接証拠は確認できませんでした。
ただし、近い研究はあります。米国のVC822社、投資先11,297社を分析したGompers、Kovner、Lernerの研究では、インダストリを専門化したファンドや、同じインダストリで投資経験を持つ個人は、IPO・M&Aなどの成功と正の関連を示しました。最低成績だったのは、非専門ファンドとジェネラリスト投資家の組み合わせでした。
一方、初号ファンドを調べたZarutskieの研究では、学位より、過去のVC経験、スタートアップ経営、インダストリに固有の経験のほうが成果をより高い確度で説明しました。つまり効いているのは、肩書よりも「その仕事で何を見て、何を決め、どんな失敗をしたか」なのかもしれません。
さらに面白い反証があります。米国VC112社、上位職749人を調べたDimovとShepherdの研究では、サイエンス教育を受けた人が多いVCほどIPO比率が高い一方、倒産比率も高くなっていました。ただし、ここでいうサイエンス教育は数学・理学・工学の学士・修士であり、博士号ではありません。データも古く、バイオ特化ではありません。
それでも、この結果は示唆的です。サイエンスのトレーニングは、まだ誰も見ていない可能性を見つけ、ホームランを増やすかもしれません。けれど、それは三振を減らす能力と同じではありません。
専門家は過信から自由にはなれません。51人のVCを対象にした小規模な実験では、96%に有意な過信が観察され、情報が増えるほど自信は増しても精度が下がる場面がありました。博士号は、認知バイアスに対するワクチンではありません。
だから結論は「博士を採れば勝てる」ではありません。博士号は目利きの保証書ではなく、反証可能性や再現性を問うトレーニングの一つにすぎません。サイエンス、臨床、規制、商業、財務、組織づくりという異なる失敗回避能力を、一つの意思決定に束ねられるかが本題となるわけですね。
問題は頭数ではなく、問いがどこまで届くか
この違いを具体的に示してくれているのが、米国のライフサイエンスVC、RA Capitalの仕組みです。
RA CapitalにはTechAtlasという内部の知識エンジンがあります。PhDやMDを持つAssociateが、サイエンス、臨床、競争環境、規制、市場を横断して分析し、130を超える領域マップをつくります。最終的な投資判断はInvest teamが行い、TechAtlasが決めるわけではありません。
重要なのは、権限の分離ではなく接続の強さです。同社は投資プロセスの説明で、TechAtlasの担当者は最終決定者ではないものの、シニアの意思決定者はその洞察なしにconvictionを形成しないと明記しています。
サイエンティストが「調査係」として資料をつくり、投資委員会は別の論理で決めるのではありません。サイエンスの問いが、確信を形成するための必須のインプットになっているのです。
日本の制度側も、実は似た方向を見てはいます。AMEDの創薬ベンチャー支援における認定VCの要件は、博士号そのものを求めていません。重視しているのは、創薬投資、治験支援、取締役派遣、医薬品開発、薬事、事業開発、グローバル開発の経験であり、そうした人材が投資の意思決定に関与することです。
学位ではなく、専門知が意思決定まで届くか。ここに、かなり本質的なヒントがあるような気がしてくるのではないでしょうか。
米国バイオVCの「問いの文化」
米国のVCがLinkedInに綴っている言葉も興味深いです。もちろん投稿は自己演出を含みますし、ファンド成績の証拠にはなりません。それでも、彼らがどんな判断原則を公に掲げているかは見えてきます。
Atlas VentureのBruce Boothは、バイオVCとしての20年を振り返ったLinkedIn投稿で、「論文を額面どおり信じるな」「臨床試験の実行こそ最大の価値創造」「サイエンスの真実を探せ」といった教訓を並べています。その背景を詳しく書いた記事では、学術研究の“transformational finding”をwet experimentで再現できず、シード段階で会社を止めた経験にも触れています。小さな資金で早く間違いを発見できれば、ポートフォリオ全体の資本加重リスクを曲げられる、という発想です。
Flagship Pioneeringの創業者Noubar Afeyanは、サイエンスの想像力を育てるFellowshipについての投稿で、会社創設を大胆な“What if?”から始めると書いています。同時に、チームは文献を掘り、外部専門家と議論し、毎年何十ものアイデアを“develop (and kill)”します。大胆に信じることと、容赦なく捨てることが同じプロセスに入っています。
老化・長寿に特化するApollo Health Venturesも、投稿で「本当の進歩とhypeをどう分けるか」を問い、サイエンスの厳密さと、人での実益の検証を前面に出しています。同社は公式サイトでも、サイエンティストと会社を共同創業し、killer experimentでリスクを落とすと説明しています。
本質は、投資チームの博士号保有者数ではないのではないでしょうか。
「何を信じるか」だけでなく、「何が出たら信じるのをやめるか」が、投資家自身の言葉で語られていることです。
老化・長寿では、良い質問が会社の価値を変える
殊、老化は、一つの経路、一つの臓器、一つの疾患で説明できません。現在は12のhallmarksで整理されるほど複合的で、動物での寿命延長、ヒトの分子変化、患者にとっての便益の間には何段もの飛躍があります。
しかも、2025年に公表された専門家の提言では、臨床的に検証済みのaging biomarkerはまだ存在しないと整理されています。時計の数字が若返ることと、人が長く健康に生きることは同じではありません。
だから投資家の質問は、専門用語を知っているかどうかを確かめるだけで終わってはいけません。答えによって、資本配分が動かなければ意味がありません。
たとえば「老化時計が改善しました」という説明に対し、測定誤差を聞くだけでは足りません。その指標は介入によって動くのでしょうか。別の集団でも再現するのでしょうか。疾患発症、身体機能、死亡と結びつくのでしょうか。結びつかないなら、どの適応症で何を承認エンドポイントにするのでしょうか。ここまで問うと、次の実験も、必要資金も、会社の値段も変わります。
これが、私のいう「質問の質」です。難しい専門用語を使うことではありません。サイエンスの曖昧さを、次に何をするか、いくら賭けるか、いつやめるかへ翻訳する力です。
全員が博士である必要はない
もちろん、すべてのファンドが巨大なサイエンスの専門チームを内製できるわけではありません。小規模ファンドなら外部の研究者、臨床医、薬事専門家を使うほうが合理的なこともあります。
外部専門家が機能する条件は、肩書より設計です。単発のKOLヒアリングで結論だけを受け取るのではなく、必要な情報へアクセスできること。投資委員会で反対意見を述べられること。継続してマイルストーンを見られること。利益相反を管理し、「誰がその判断に責任を持ったか」を残せること。ここまであれば、外部でもかなり代替できます。
逆に、サイエンスの専門家が社内にいても、一次面談と資料作成で仕事が終わり、価格や契約、撤退基準を変えられないなら、専門性は飾りになります。
また、この主張が強く当てはまるのは、前臨床、未検証モダリティ、platform biotech、老化介入など、サイエンスリスクが企業価値の中心にある局面です。レイターステージ、既承認技術の横展開、サービス中心のヘルスケアでは、GTM、価格、組織運営、資本市場の経験がより重要になりえます。
博士号がなくても、深い研究経験を持つ人はいます。老化分野では、Laura Demingのように学位取得前から研究へ没入し、Longevity Fundを立ち上げた投資家もいます。反対に、案件と遠い分野の博士号を持っていても、その学位だけで目利きができるわけではありません。
問いをつくるトレーニングはPhDの専売特許ではありません。だからといって、そのトレーニングを本気で積んだ人が意思決定の近くにいる価値まで、薄めてはいけないと思います。
サイエンティストがいるファンドではなく、サイエンスで意思決定するファンドへ
私は、日本のVCに「もっと博士を採用してください」とだけ言いたいわけではありません。
主張したいのは、バイオVCがサイエンス上の不確実性を、起業家だけに背負わせてはいけないということです。
良い質問は、起業家を試すための難問ではありません。投資家も一緒に不確実性を引き受けるための共同作業です。答えがなければ、何を調べればよいかを決めます。結果が悪ければ、小さく早く止めます。結果がよければ、迷わず大きく張ります。
そこに私は、バイオ投資の冷たさではなく、むしろ熱を感じます。
患者に届かない美しいサイエンスを、きちんと諦めること。まだ証明されていない可能性に、条件を明確にして賭けること。老化という途方もなく複雑な現象を前に、「分からない」で終わらず、次の一問をつくること。
博士号は、そのための保証書ではありません。でも、問いをつくり、仮説を壊され、間違いを認め、もう一度考えるトレーニングではあります。
日本のバイオVCに必要なのは、博士号の人数表ではありません。
サイエンスの問いが、投資の可否、価格、次に行う実験、追加投資、そして撤退を本当に変えたのか。それを説明できる仕組みです。
「サイエンティストがいるファンド」から、「サイエンスで意思決定するファンド」へ。
私が見たいのは、その変化です。
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