📈AIは起業を民主化した。が、成長は民主化されない

コードが安くなるほど、経験・需要・信頼・責任の価値が光る
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おくさん
2026/07/22

コードが安くなるほど、経験・需要・信頼・責任が希少になる。コードの半分以上をAIが書く。創業者は一人。本人はエンジニアではない。年齢は40代、50代——。

少し前までなら、こうした人物像は「テクノロジー・スタートアップの創業者」と聞いて、多くの人が思い浮かべるものではなかったはずです。しかし、その前提は急速に崩れつつあります。

Supabaseが約2,000人のスタートアップ・ビルダーを対象に実施した「State of Startups 2026」では、次のような回答が集まったそう。

  • 一人創業:61%
  • 非技術系の創業者:22%
  • 40歳以上の回答者:25%
  • コードベースの過半をAIが生成:61%
  • コードベースの76〜100%をAIが生成:40%

ここまで読むと、いよいよ「起業の民主化」が始まったように見えます。

エンジニアを採用できなくても、プロダクトを作れる。共同創業者が見つからなくても、市場検証を始められる。長年、頭の中にだけ存在していた業界向けのアイデアを、自分の手で動くものにできる。

しかし、この調査には別の側面も表れています。

  • 最大の経営課題は「顧客獲得」で、回答率32%の首位
  • 「技術的複雑性」を課題とする回答は、前年の24%から11%へ低下
  • コードの76〜100%をAIが生成する企業の収益化率は31%
  • AIをまったく使っていない企業の収益化率は56%

もちろん、ここから「AIを使うと売れなくなる」と結論づけることはできません。AIを多用する回答者ほど創業初期で、ブートストラップされ、まだ市場の評価にさらされていない可能性があります。Supabase自身も企業ステージの違いに言及しています。また、この調査は回答者の募集方法や母集団の代表性が十分に開示されておらず、スタートアップ市場全体の構成比として読むべきものでもありません。

それでもどうにも、この数字の並びが、今起きている変化の方向を端的に示しているように見えます。

つまり、作ることは、明らかに簡単になった。しかし、売ることまで同じ速度で簡単になったわけではない、ということです。

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“Building is the easy part. Distribution is the hardest.”
「作るのは簡単だ。難しいのは、顧客に届けることだ。」
— Bill Hinostroza, Abriz

本稿で考えたいのは、この非対称性です。

AIは、起業への参加資格を民主化します。しかし、私は、成長まで均等に民主化するわけではない、と考えています。実装力がリッチになるほど、顧客を知る力、顧客に届く経路、業務に入り込む信頼、失敗の責任を引き受ける運用力へ価値が移っていくのではないでしょうか。

起業家が増えることと、価値ある企業が増えることは、同じではありませんからね(当たり前ですけど)。

目次

  1. 「会社を作ること」から「仮説を試すこと」へのシフト
  2. AIが再評価するのは、年齢ではなく「圧縮された経験」である
  3. Fervo Energy:業界経験が技術ロードマップを変えた
  4. Redwood Materials:「原料」と「買い手」を同時に押さえた
  5. Ginkgo Bioworksは「作る機械」を作った
  6. 供給ショックは、ロングテールではなく「勝者集中」を生むかもしれない
  7. SaaSは死なない。「機能」だけを売るSaaSが苦しくなる
  8. VCは「何を作れるか」を見る仕事ではなくなる
  9. 民主化の後に、何が希少になるのか

「会社を作ること」から「仮説を試すこと」へのシフト

そもそもですが、AIによって起きた変化を過小評価すべきではないでしょう。

これまで、非技術系の創業者がソフトウェア事業を始めるには、共同創業者や外注先を探し、仕様書を書き、資金を集める必要がありました。ようやく試作品が完成した頃には、顧客の関心が別の場所へ移っていることも珍しくなかったわけです。

AIコーディングは、この順序を変えています。創業者は、組織を作る前にプロダクトを作り、資金を集める前に顧客へ見せられる。仮説が現実と接触したとき、どこで壊れるかを先に確かめられます。

Cartaの「Solo Founders Report 2025」にも、この変化が表れています。

  • 米国の一人創業企業の比率は、2019年の23.7%から2025年上期の36.3%へ上昇
  • 一方、2024年に一人創業企業が獲得した、企業価値を定めるエクイティラウンドの資金は全体の14.7%
  • 設立から初回採用までの中央値は、一人創業企業が399日、複数創業者企業が480日
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このデータを「一人企業が完成形になる」という未来の証拠とは読むのは尚早でしょう。一人創業は会社の最終形ではなく、新しい入口に過ぎないのは以前にも書いたことがあったように思います。以前なら共同創業者、資本、開発チームが揃うまで始められなかった市場検証を、一人で先に始められる。

AIは組織を不要にしたのではなく、組織を作る前に学習を始められるようにしたのです。

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本記事では、これを「起業の民主化」と呼ぶことにしましょう。

ただし、民主化されたのは「試す能力」であって、顧客の予算、注意、信頼ではありません。作り手が増えれば、顧客一人あたりに届くプロダクトの数も増える。供給側の制約が外れた瞬間、需要側の制約がむき出しになります。

AIが再評価するのは、年齢ではなく「圧縮された経験」である

Supabaseの調査で特に興味深いのは、年齢が高い創業者ほどAI生成コードの比率が高かったことです。コードの76〜100%をAIが生成している比率は、50〜59歳の回答者で60%に達していました。

この数字で注目すべきは、「高齢者もAIを使っています」という点ではないのは言うまでもないでしょう。

重要なのは、長いあいだ業界知識を持ちながら実装能力を持たなかった人が、初めて自分の知識をプロダクトへ変換できるようになったことです。

米国国勢調査局の行政データを使ったNBERの研究「Age and High-Growth Entrepreneurship」では、成長率上位0.1%に入る新設企業の創業者の平均年齢は45歳でした。ハイテク産業や成功したイグジットに絞っても傾向は大きく変わらず、同じ業界での職務経験は、起業の成功確率の高さを強く予測していました。

“Our primary finding is that successful entrepreneurs are middle-aged, not young.”
「私たちの主要な発見は、成功する起業家は若者ではなく中年層である、ということだ。」
— Pierre Azoulay, Benjamin F. Jones, J. Daniel Kim, Javier Miranda

とはいえ、ここから「若い創業者より中高年へ投資すべきだ」と結論づけるのも雑でしょう。この研究から、年齢そのものが成功の原因だとは言えません。見るべきなのは年齢の背後にあるのはなにか、です。

  • 顧客はどこで意思決定を止めるのか
  • 規制はどの順番で効くのか
  • 現場では何が壊れるのか
  • 誰が予算を握り、誰が最終的に責任を負うのか

私は、優れた業界経験とは、長い履歴書ではなく、現実の因果関係を圧縮した地図だと考えています。

Fervo Energy:業界経験が技術ロードマップを変えた

その地図が、単なる営業人脈ではなく、技術ロードマップそのものを変えた例がFervo Energyです。

Fervoは、シェール開発で成熟した水平掘削や坑井技術を、次世代地熱発電へ移植しました。CEOのTim LatimerはBHP Billitonで掘削エンジニアとして働き、共同創業者のJack Norbeckは地熱貯留層の専門家です。同社の上場資料によれば、経営陣にはShell、BP、Chevron、BHP Billiton、SLBなどで合計125年以上のエネルギー業界経験が集まっています。

2023年、Fervoはネバダ州のProject Redで、商用規模の水平坑井ペアの試験に成功しました。同社の発表によると、水平区間は3,250フィート、地下温度は191℃。従来の地熱開発では経済性を持ちにくかった地層から、水平掘削によって熱を取り出すモデルを実証しました。

しかし、ここで私が本当に注目したいのは、掘削技術だけではありません。業界経験は、少なくとも次の判断に効いたと考えられます。

  • 掘削費用がどこで膨らむかを見極める
  • リグ事業者や油田サービス会社と共通言語で話す
  • 坑井で起きる故障や工期遅延を予測し、標準化すべき工程を選ぶ
  • 技術実証を「面白い実験」ではなく、長期契約とプロジェクトファイナンスを組める「発電所」として顧客に説明する

2026年第1四半期の開示によれば、Fervoは2026年3月末時点で658MWの拘束力ある電力購入契約を確保しています。Googleとの間には最大3GWの開発枠組みもありますが、こちらは個別案件の電力購入を義務づけるPPAではなく、非拘束のフレームワークです。発表された将来構想と、すでに契約された需要は、区別して読む必要があります。

それでも公開情報からは、Fervoが供給能力だけを先に膨らませず、長期の需要契約と資金調達可能性を技術開発の中に組み込んできたと読み取れます。

Redwood Materials:「原料」と「買い手」を同時に押さえた

Redwood Materialsも、異なる形で需要を事業設計に組み込んでいます。

創業者のJB StraubelはTeslaの共同創業者・元CTOとして、電池、パワーエレクトロニクス、電池工場、EVサプライチェーンを経験してきました。Redwoodの公式情報によれば、同社は使用済み電池や製造スクラップからリチウム、ニッケル、コバルト、銅を回収し、再び電池材料として供給する循環型サプライチェーンを構築しています。現在は、再利用電池を含む定置用蓄電池にも事業を広げています。

電池リサイクルには、二方向の取引関係が必要です。

  • 製造スクラップや使用済み電池を継続的に供給する企業
  • 回収・精製した材料の品質を認証し、長期で購入する電池メーカー

原料だけ集まっても、買い手がいなければ設備は回りません。買い手だけ確保しても、原料が安定しなければ供給契約を守れません。

Redwoodは2019年から、Teslaのネバダ・ギガファクトリーで発生するPanasonicの製造スクラップをリサイクルしてきました。その後、PanasonicはRedwoodが生産する銅箔の長期購入者となり、カンザス工場向け高ニッケル正極材の調達も発表しています。Toyotaとの協業など、回収・再資源化の関係も広げてきました。

Redwoodは非公開企業です。この設計が最終的に十分な収益性を持つかは、公開情報だけでは判断できません。それでも、少なくとも同社の事業と提携の組み方からは、自らを単なる廃棄物処理業者ではなく、電池材料サプライチェーンとして設計していることが読み取れます。

Straubelという創業者は、技術責任者であると同時に、原料供給者、材料購入者、資本提供者の間をつなぐ信用補完装置でもあったのではないか、というのが私の見立てです。

ともあれ、FervoとRedwoodに共通するのは、業界経験が「売りやすさ」だけに効いていないことです。

経験が、何を作るべきか、どの順番で作るべきか、誰との契約を先に取るべきか、どこまで自社で責任を持つべきかを決めています。つまり、経験そのものが、プロダクト・アーキテクチャとビジネスモデルに埋め込まれている。

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AIによって実装力が安くなるほど、この差は大きくなると私は見ています。誰でも作れるなら、「何を、どの順序で作らないか」を知っている人の価値が上がるからです。

Ginkgo Bioworksは「作る機械」を作った

ここで、反対側の事例も見てみましょう。

合成生物学企業のGinkgo Bioworksは、微生物や細胞を設計する自動化ラボ、いわゆるバイオ・ファウンドリーを構築しました。顧客から「特定の物質を生産する微生物を作りたい」といったプログラムを受託し、設計、実験、評価を繰り返す。個別企業が一からラボを作るより、大規模な共通基盤へ実験を集約することで、学習速度と設備効率を高めようとしたモデルです。

技術的な構想としては、極めて魅力的です。

しかし、顧客が買っていたのは完成品ではなく、長期の研究開発プログラムでした。そのモデルには、構造的な難しさがあります。

  • Ginkgoが技術マイルストーンを達成しても、その後のスケールアップ、規制承認、製造、販売は顧客が担う
  • 顧客の事業計画が変われば、プログラムは縮小・中止される
  • 顧客製品が上市されなければ、マイルストーンやロイヤルティなどの将来価値は実現しない
  • 複数年の協業でも、原則として最低年間発注量がなく、顧客は予算、技術進捗、市場需要に応じて利用量を減らせる

実は、Ginkgo自身も、2025年のForm 10-Kでこれらのリスクを明記しています。

“Because we do not control our customers’ development, regulatory, manufacturing or commercial activities, we have limited ability to influence these outcomes.”
「顧客の開発、規制対応、製造、商業活動を当社は制御できないため、その結果に影響を及ぼす力は限られている。」
— Ginkgo Bioworks

一方、ファウンドリーの人員、設備、施設費は、顧客製品の商業化を待ってはくれません。2025年の業績は次のとおりでした。

  • 総売上:1億7,015万ドル(前年の2億2,704万ドルから25%減)
  • 営業損失:3億1,528万ドル
  • 同社の管理指標によるCell Engineering部門のセグメント営業損失:9,553万ドル

ただし、この25%減をそのまま「本業が4分の1縮んだ」と読むのは正確ではありません。2024年と2025年には、顧客契約の終了に伴う繰延収益の非現金計上がそれぞれ含まれています。同社の2025年通期決算発表によれば、その影響を除いたCell Engineering売上は、2024年の1億2,900万ドルから2025年の1億2,500万ドルへ減少しており、減少率は約3%でした。

ここで私が見たいのは、売上減の派手さではありません。

より本質的なのは、少なくとも2025年時点では、従来型のR&Dサービスを中心とする収入だけで大規模な技術供給基盤を支え切れていなかったことです。これは公開された損益と再編方針からの私の個人的な評価です。Ginkgoは人員削減と施設統合を進め、2026年にはAutonomous Labsへ注力。Biosecurity事業の売却は同年4月3日に完了し、対価として買い手企業の少数持分を受け取りました。

これは「Ginkgoには技術がなかった」という話ではありません。むしろ逆です。

Ginkgoは、作る能力を先に作った。しかし、その能力を継続的に稼働させる需要、契約、価値回収の仕組みは、同じ速度では育たなかった、のではないか、と私は考えています。

  • Fervoは、発電能力を増やす前にPPAを積み上げた
  • Redwoodは、設備を回す原料と、精製後の材料を買う顧客の両側を押さえた
  • Ginkgoの従来モデルでは、技術成果の先にある事業化を顧客が握っていた

この差は、技術の優劣ではありません。

作る機械と、稼ぐ機械を、誰がどこまで一体で設計できたか。

そこに違いがあったのだと思います。

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供給ショックは、ロングテールではなく「勝者集中」を生むかもしれない

「誰でも作れるようになる」と聞くと、直感的に、市場がロングテール化し、小さなプレイヤーにも機会が広がると考えがちです。

参入者が増える。多様なニーズに応える製品が生まれる。小さくても濃い顧客基盤を持つ企業が増える。もちろん、そうした未来も一部では起きるでしょう。

しかし、供給が増える速度が需要を上回ると、別のことが起きます。

RevenueCatの「State of Subscription Apps 2026」は、11万5,000以上のアプリ、160億ドル超の売上、10億件以上の取引を分析しています。そこから見えるのは、供給の急増と売上の集中です。

  • 月間の新規サブスクリプションアプリは、2022年1月の約2,000本から2026年1月の1万4,700本超へ、約7倍に増加
  • 2020年以前に公開されたアプリが、依然としてサブスクリプション売上の69%を占める
  • 2025年以降に公開されたアプリは、供給本数が急増した一方で売上の3%
  • 上位25%のアプリが前年比80%以上成長する一方、下位25%は33%縮小

さらにAIアプリは、有料利用者一人あたりの1年後累計売上が非AIアプリより41%高い一方、12カ月後の継続率は、週間・月間・年間のすべての契約期間で非AIアプリを下回りました。AIは初期の関心を課金へ変える力を持つ一方、その関心を習慣や業務へ変えるところでは苦戦している、これは実務のなかで現場でも同様の声が上がっていたりするところです。

もちろん、これは主にコンシューマー向けサブスクリプションアプリのデータであり、B2B SaaS全体へそのまま一般化はできません。

それでも、供給ショックが起きたときの力学を考える手がかりにはなるでしょう。

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プロダクト数が増えても、顧客の一日は24時間のままです。企業の予算編成は年に何度も増えません。新しいツールを比較し、導入し、データを移し、社員を教育するコストも消えません。供給が増えるほど、既存顧客基盤、ブランド、コミュニティ、業務フローへの埋め込みが効いてきます。

以前、「センスの外注」が始まったと書いた際、表面上の完成度を安く生成できるほど、「センスよく見えること」自体が差別化にならなくなる問題を考えました。プロダクトも同じではないでしょうか。動くこと、整って見えること、機能が揃うことが安くなるほど、それだけでは選ばれる理由になりません。

私は、AIが市場を一様にロングテール化するのではなく、参入企業を増やしながら、一部の市場では価値の集中を強める可能性があると考えています。

ここで誤解してほしくないのは、「だから既存大手が勝つ」という話ではないことです。

Fervoは既存の地熱大手ではありません。Redwoodも既存の電池材料大手ではありません。それでも、彼らは創業者の業界経験を使って、模倣しにくい需要への経路を作った。

勝つのは古い会社ではなく、供給が増える前から、需要の側に居場所を持っていた会社なのだと思います。

SaaSは死なない。「機能」だけを売るSaaSが苦しくなる

Supabaseの調査では、GTM活動を行う企業の53%が正式なCRMを持たず、56%が一般的なオブザーバビリティツールを使っていません。カスタムのダッシュボードは増え、既存の分析・営業ツールはシェアを落としました。

この数字だけを見ると、「SaaSはAIによる内製ソフトウェアに置き換えられる」という結論になりそうです。

しかし、米国企業のデータは逆方向を示しています。

Menlo VenturesがAIツールを利用する米国企業の意思決定者495人を対象に行った2025年調査では、AIユースケースの76%が内製ではなく購入でした。2024年の53%から大きく上昇しています。

私は、この二つの調査は決して矛盾していないと考えています。

創業初期のスタートアップは、まだCRMを必要としていないかもしれない。必要になっても、顧客数が少ないうちは簡単な内製ツールで足りる。一方、大企業では、権限管理、監査ログ、セキュリティ、データ連携、保守、導入支援が必要です。コードを書けるかどうかより、問題が起きたときに誰が直し、誰が説明し、誰が責任を負うかの方が重要になります。

AIが下げるのは、コードを書くコストです。

失敗したときに責任を引き受けるコストまでは、下げてくれません。

国家と企業ではスケールが違いますが、「長い関与の結果として信頼が沈殿する」という構造は、SaaSにも通じると思います。導入実績、障害対応、監査、顧客との共同運用は、生成できる機能ではなく、時間をかけて貯まる資産です。

その意味で、SaaSは死ぬのではなく、二極化する、と見たほうがよいのかもしれません。

失敗しても影響が小さい社内ツール、汎用的な管理画面、差別化にならない単機能は、AIで内製されやすくなる。一方、基幹データへ接続し、監査され、止まれば顧客業務が止まり、規制対応や可用性が求められる領域では、信頼できる外部ベンダーが必要です。

これから購入され続けるSaaSは、「この機能が使えます」ではなく、次のようなコミットメントをするようになるのではないでしょうか。

  • この業務を止めません
  • この判断を後から検証できます
  • この規制に適合した状態を維持します
  • この成果が出るところまで運用します

SaaSは、機能を提供する商売から、結果と責任の境界を引き受ける商売へ変わっていくのだと思います。

VCは「何を作れるか」を見る仕事ではなくなる

この変化は、VCの投資判断も変えるでしょう。

以前は、技術チームの厚さが、そのまま実行力の代理変数になりました。優秀なエンジニアを何人採用できるか。どれほど速くプロダクトを作れるか。競合より何カ月先に市場へ出られるか。もちろん、今後も技術力は重要です。

しかし、週末で動くデモを作れる時代に、デモの完成度だけを見ても、分かることは急速に減っています。

私は、投資家が先に問うべきなのは、次のようなことだと考えています。

  1. なぜ、この創業者だけが顧客のペインと失敗の順序を知っているのか。
    履歴書の長さではなく、顧客の意思決定を因果関係として説明できるかを見る。
  2. 技術ロードマップは、業界の原価・規制・供給網を反映しているか。
    作りたい技術ではなく、商業化を阻む制約から逆算されているかを見る。
  3. 顧客に届く経路は、プロダクト完成前から存在するか。
    FervoにとってのPPA、Redwoodにとっての原料回収網と材料購入者に相当するものがあるか。
  4. 供給能力を拡張する前に、反復需要を確保できるか。
    契約件数だけでなく、最低利用量、継続契約、導入拡大、顧客側のスイッチングコストを見る。
  5. この企業は、顧客に代わって何の責任を引き受けるのか。
    機能が模倣された後にも残る、監査、運用、規制、成果責任を確認する。

AI時代に価値が上がるのは、技術を知らない「営業型創業者」ではありません。技術と市場の両方を知り、その間にある摩擦を事業設計へ変換できる創業者です。

また、VC自身の提供価値も変わるでしょう。

この点は、以前述べた「資本の編成」と同じです。技術を資本に、資本を量産に、量産を顧客価値へ変える因果の鎖のどこを担えるか。AIで開発が安くなるほど、その編成能力が投資家の差になります。

開発資金を供給するだけでは足りない。デザインパートナーを紹介する。最初の顧客の信用を補う。規制当局や大企業との接続を作る。設備を作る前に需要契約を組み、実証を反復発注へ変える。

実装コストが下がるほど、資本だけの価値は薄くなります。資本と需要を結びつけられる投資家の価値は、むしろ高まるはずです。

民主化の後に、何が希少になるのか

AIは、起業を民主化します。

それは誇張ではないと私は考えています。以前ならプロダクトを持てなかった人が、自分の知識を動く形へ変えられる。会社や資金を集める前に、仮説を現実へぶつけられる。この変化によって、これまで表に出なかった優れた創業者が増えるでしょう。

ただし、入口が広がることと、出口まで広がることは別です。

作れる企業が増えても、顧客の予算は同じ速度では増えない。AIが実験を速くしても、規制承認、設備建設、組織導入、顧客の信頼形成まで同じ速度になるとは限らない。プロダクトの供給が増えるほど、需要へのアクセスと継続利用は、むしろ希少になります。

三つの事例から、私は次のように整理しています。

  • Fervoが示したのは、業界経験が技術ロードマップを正しくすること
  • Redwoodが示したのは、原料と買い手を同時に設計すること
  • Ginkgoが示したのは、優れた「作る機械」だけでは、必ずしも「稼ぐ機械」にならないこと

コードの希少性が消えた後に残るのは、経験、需要、信頼、責任です。

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AIは経験を時代遅れにするのではありません。経験のうち、本当に価値のある部分を、ようやく技術へ変換できるようにする。

VCが探すべきなのは、AIを使って速く作れる人だけではないのでしょう。

現実がどの順番で動くかを知り、その順番どおりに会社を作れる人です。

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