🌱仕事への愛の見つけ方

user
おくさん
2026/07/29

小さく関わるうちに問いが増え、対象へ注意が戻っていく。ただし、愛と我慢は別の話だ。

昔どこかで、こんな趣旨の言葉に触れました。

画像

この考え方に近いものとして私が連想したのは、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』です。フロムは、愛する能力は発達させていくものだと論じました。

もちろん、愛と仕事は同じではありません。ただ、「好き」は最初から完成しているとは限らない。その点では、仕事にも似たところがある気がします。

自分にも、最初は別に好きではなかったのに、小さく関わるうちに面白くなった仕事があります。その一つが、委員会やコミュニティの運営でした。

始めた頃は、正直に言えば、面白さより疲れのほうが先に立っていました。人を集める。話を整理する。日程を合わせる。やることは細かく、誰かが動かなければ進まない。最初から好きで引き受けていた仕事ではありません。

それでも関わるうちに、少しずつ見え方が変わりました。同じ事象について話しているはずなのに、立場が違えば、何を問題と感じるかさえ違う。こちらでは当然とされていた前提が、別の立場から見ると、まったく違う問題として見えている。正解が増えたというより、問いが増えました。

画像

もう一つ大きかったのは、公開されたネット記事や本だけでは拾いにくい、現場の所感や違和感に触れられるようになったことです。現場でまだ答えを探している人たちが口にする、整理され切っていない感覚。そうした話に触れると、自分が見ていた世界の平らさに気づかされます。

振り返ると、運営作業に慣れたから好きになった、という話ではないのだと思います。対象に対する見方が増え、もう少し理解したいと思うようになった。面白さを育てたのは、経過時間ではなく、見える世界が増えたことだったのではないかと思います。

同じものでも、立つ場所によって意味が変わる。その感覚は、もっと身近な場所でも起きています。

たとえば、スタバの店内で、モバイルオーダーが入ったらしい音を耳にすることが最近よくありますね。あの音が鳴ると、その瞬間、コーヒー店が小さな物流拠点になったように見える、という人の話しを聞いたことがあります。もちろん「物流拠点」は比喩ですが、一つの音を誰が聞くかで、店の姿はかなり変わります。

  • 顧客には、レジに並ばず注文し、受け取れる便利な仕組みの合図です。
  • 店舗スタッフの側から見れば、目の前の列とは別の経路から注文が加わる合図とも見えます。
  • 経営やオペレーションの側から見れば、複数の注文経路と繁忙時の負荷をどう扱うかという問いです。米国本社は、一部店舗で注文処理を見直す仕組みを説明しています。
  • 空間やブランドの側から見れば、滞在と交流の場所に、受取拠点の機能が重なった状態です。米国本社の新しい店舗設計でも、座席を戻す一方、滞在客と受取客を分ける空間が説明されています。

画像

とはいえ私は別に、「サードプレイスが消えた」と思っているわけではありません。むしろ、サードプレイスの中に、注文処理と受け取りを担う小さな物流拠点が同居し始めた。そう捉えるほうが、スタバで同時に起きていることをよく表している気がします。

面白いのは、モバイルオーダーの賛否を決めることではありません。一つの音から、前提や利害の違う問いが立ち上がり、自分の判断を更新できることです。委員会やコミュニティでも、立つ場所を移すたびに、同じ事象の輪郭が増えていきました。

マイケル・ポランニーは、英語で “we can know more than we can tell” と書きました。「私たちは語れる以上のことを知っている」といった意味です。現場の所感や違和感の中には、まだ十分に説明されていない知識の手がかりが含まれていることがあります。以前、大学や研究には、公開情報だけでは見つけにくい「地図」があるといった趣旨の記事を書きましたが、私がコミュニティで受け取っていたのも、そうした地図の断片だったのかもしれません。

見方が増えると、対象をもう一度見直したくなります。もっと知りたい。少しでもよくしたい。ここで私が「仕事への愛」と呼ぶのは、そんなふうに対象へ注意が戻る感覚です。研究上の関心や情熱と、まったく同じものだとは考えていません。

少なくとも私の場合、愛は、反復ではなく解像度から育ったように思っています

画像

ただし、ここで話を「続ければ何でも好きになる」に戻してはいけないでしょう。

同じ委員会やコミュニティの運営でも、日程調整のような段取りや事務作業は、今も全く面白くありません。繰り返したからといって、何でも好きになるわけではない。私の中にも、育った関心と、最後まで面白くならなかった作業の両方があります。

違いは、費やした時間より、関わったことで見えるものが増えるかどうかにあるように思います。視点が増えるか。現場でしか得られない手がかりに触れられるか。自分の判断や関わり方を更新できるか。日程調整は大切な仕事ですが、少なくとも私にとっては、そこから見える世界が大きく増える感覚はありませんでした。

ちなみに、O’Keefeらが行った五つの研究では、関心を固定的なものと考える傾向は、今ある関心の外へ目が向きにくいことや、難しい課題で関心が大きく下がることと関係していたそうです。ただし、対象は主に大学生で、短期的な関心を測った研究です。これだけで、仕事への愛が育つことを証明することはできません。

努力の効果には境界があると考える材料もあります。Zhuらが米国の大学で起業科目の学生を調べたところ、始める前から「起業は自分に合いそうだ」という感覚が弱い学生では、強く努力する条件ほど、5週間後の「実際に合っている」という感覚も低い傾向がありました。ただし、これは同じ人の感覚が努力後に下がったことを示すものではなく、一般の仕事にもそのまま広げられません。それでも、「努力を続ければ必ず対象が自分に合うようになる」とは言い切れません。

関わった結果、「好きになった」と分かることもある。「自分には合わない」と分かることもある。どちらも、理解が増えたという意味では学習だと私は考えています。

私は、仕事への愛と、報酬、労働条件、安全、尊重は別勘定だと考えています。情熱を悪い条件を引き受ける理由にしてはいけない。仕事を愛することを目標にせず、契約どおりきちんと働く。そんな働き方も十分にありだと思います。

画像

だから必要なのは、好きになるまで耐えることではありません。

画像

最初から愛せる仕事、完成した起業テーマ、すぐに没頭できる対象。そういうものが見つかるまで待たなくてもよいのだと思います。

まずは、小さく関わってみる。これは、理解が深まることに面白さを感じる、私なりの物差しです。そのうえで、二つのことを観察するようにしています

  • 関わるほど、自分に見える世界は増えているか。
  • その結果、もっと知りたいと思うのか。それとも、自分には合わない理由がはっきりしてきたのか。

見える世界が増え、もっと知りたいなら、もう少し続けてみればいい。見えるものが増えない、あるいは合わない理由がはっきりしてきたなら、関わり方を変えるか、離れてもいい。どちらも学習であり、好きにならなかったことまで失敗にする必要はありません。

小さく検証できる起業テーマにも、似たことが言えるでしょう。以前、AIで始めるハードルは下がっても、成長の難しさまで平等にはならないと書いた通り、大きな組織を構える前に小さく試し、自分の見え方がどう変わるかを確かめる余地があります。

仕事への愛は、最初から完成した形で待っているとは限りません。努力の量そのものではなく、対象をもう一度見直したくなるほど、見えるものが増えているか。最近は、そこに仕事への愛がゆっくり育つ余地があるのだと考えています。

300人以上の方達が購読中

いつでも購読解除可能です