📏 昨日までの「十分」が、今日の「不足」になる瞬間
こんな話を聞いたことがある方は多いはず。
コップに水が半分入っています。「半分も入っている」と見るか。「半分しか入っていない」と見るか。
よく知られた楽観と悲観の比喩ですね。しかし、イノベーションを考えるとき、私には別の読み方ができるように思っています。
二つの見方の間で、水量は一滴も変わっていません。変わったのは、どこを「十分」とするかという線です。
過去と比べれば、半分まで来た。ところが新しい技術や制度によって、もっとよい状態が現実的に想像できるようになると、同じ半分が「まだ半分足りない」に変わる。昨日まで仕方のない仕様だったものが、今日から解くべき欠陥になる。
私は、大きなイノベーションのチャンスは、この瞬間に生まれるのではないかと考えています。
とはいえ、これは決して悲観の勧めというわけではありません。不満を大きく見せれば市場ができる、という話でもありません。重要なのは、不足の量ではなく、「不足の意味」が変わることです。そして、その不足が「いまなら解ける」と見え始めることです。
目次
- 問題は、基準が変わることで生まれる
- 未来の不満
- 認識が技術を生むのか、技術が不満を生むのか
- 半分空でも、市場にならない
- 「空」を決めるのは市場だけではない
- 不満を作れば、イノベーションが起きるのか
- 認識の時差を探す六つの問い
- 水量ではなく、線が動く
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問題は、基準が変わることで生まれる
人は物事を、常に絶対値で評価しているわけではありません(当たり前ですが)。行動経済学には、結果をある参照点からの増減として評価する「参照点依存」という考え方があります。
たとえば、Botond KőszegiとMatthew Rabinは、過去に抱いた合理的な期待が参照点になりうるモデルを提示しました。Bruce Hardieらも、価格や品質を複数の参照点との比較として扱うモデルが、ブランド選択のデータによりよく適合したと報告しています。
わかりやすいのは、米国の携帯電話市場を分析した研究です。この研究は、品質の高い新製品が次々に投入されると、消費者が基準とする品質も動き、従来製品の価値が相対的に大きく下がる領域を「innovation shadow zone」としてモデル化しています。
新製品は、選択肢を一つ増やすだけにとどまらず、市場全体の採点基準を書き換えることがあるというわけです。新しい製品を買わなかった人にとってさえ、「どこまでできるか」という知識はアップデートされます。その結果、昨日まで満足できた製品が、壊れているわけでもないのに古く見え始めます。
ただ、ここで参照点依存を万能な説明にしてはいけません。スーパーマーケットの購買データを分析した別の研究では、消費者ごとの価格反応の違いを考慮すると、損失回避の推定値は小さくなり、多くの商品カテゴリーで統計的に有意ではなったそうです。
要するに、私がここまででお伝えしたかったのは、技術が需要に応えるだけでなく、技術そのものが「十分」の基準を作ることがある、という構造ですね。
未来の不満
では、新しい基準は誰に最初に見えるのでしょうか。
この問いに近い既存概念が、Eric von Hippelの「lead user」です。Lead userというのは、重要な市場トレンドの先端にいて、多数派が後に経験するニーズを先に経験し、その解決から大きな便益を得る利用者を指します。
大切なのは、単に「強く困っている人」ではないということです。
Franke、von Hippel、Schreierがカイトサーフィン利用者を調べた研究では、lead userの二つの特徴が異なる役割を持っていました。解決によって得られる便益の大きさは、自らイノベーションを起こす可能性を予測し、市場トレンドの先端にいることは、解決案の商業的な魅力を予測した、と説明しています。
つまり、痛みが強いことと、将来の市場を先取りしていることは別だということですね。
企業の事例でも似た結果があります。インドネシアの電子機器製造企業で、87人の現場従業員が提出した452件の改善案を分析した研究では、lead user性の高い人の提案は、そうでない人の提案より実装される可能性が約2倍、ほかの現場へ拡散する可能性が3倍以上高いという関連が見つかったそう。
もちろん、特殊なスポーツの利用者と、一企業の工程改善から、あらゆる大市場を予測できるわけではありません。利用者が作った有用なイノベーションにも、最初の採用へ届かない拡散上の市場の失敗は十分ありえます。
先に困っている人を探すだけでは足りません。その人が、多数派にはまだ訪れていない条件を先に生きているのかを見なければならない。新しい働き方、新しい規制、新しい人口構成、新しい計算コスト。その条件が広がるなら、その人の「半分空」は、やがて多数派の「不足」になる可能性があるわけです。
Lead userは未来を当てる人ではなく、未来の条件を先に生きる観測所である、といったイメージでしょうか
認識が技術を生むのか、技術が不満を生むのか
正直なところ、ここまでの議論には、鶏と卵の問題があるのではないかとも思っています。
社会が「半分空だ」と認識したから、イノベーションが生まれるのでしょうか。それとも、新しい技術が登場したから、以前の状態が不十分に見えるようになったのでしょうか。
この因果を一方向に決めるのは危険なのだと思います。David MoweryとNathan Rosenbergは1979年、需要がイノベーションを「呼び出す」とした当時の研究を検討し、異質な現象を曖昧な「ニーズ」でまとめていると批判しました。そして、需要側だけでなく供給側の影響も不可欠だと論じています。
身近な例で考えると、携帯電話市場の品質も、同じ循環を示唆しているように思います。
- 新しい技術や製品が、「ここまでできる」と実演する。
- その実演を見た一部の人の期待水準が上がる。
- 従来の状態が、仕様から欠陥へ再分類される。
- 新しい需要と投資が、次の改善を支える。
- 改善がさらに参照点を上げる。
だから「認識の時差」とは、単に賢い人が先に真実へ気づくことではありません。新しい技術へ触れた人、規制変更を先に受ける人、従来と違う制約を持つ人が、別の合格ラインを先に持ち始める。その線が社会の中に不均等に広がる時間のことなのでしょう。
言い換えると、認識はイノベーションの単独の原因ではなく、技術、制度、需要、資本をつなぐフィードバック回路の一部、といった感じでしょうか。
半分空でも、市場にならない
新しい基準が見えれば、すぐ市場ができるわけでもありません。
この境界条件としてぱっと思いつくのが、遠隔医療です。
米国のMedicare Fee-for-Serviceでは、遠隔医療の利用が2019年から2020年に63倍になりました。2020年には、行動医療専門家への訪問の約3分の1、プライマリケアの8%、その他専門医の3%が遠隔で行われていたそうです。
しかし、これは「患者が便利さに気づいた」だけでは説明できません。パンデミックによって対面診療を避ける必要が生じたうえ、CMSは2020年3月、自宅からの利用、地理的制限、対象サービス、提供者などに関する複数のルールを緩和しました。技術は以前から存在していましたが、支払と提供の制度が変わるまで、大規模な利用にはつながらなかったわけです。
しかも、普及は一様ではありませんでした。CMSの分析では、都市部の利用が農村部より多く、黒人受給者は白人受給者より利用が少ないという差がありました。利用が増えたことと、質、公平性、持続可能な運用が確立したことも同じではなかったわけです。
反対に、問題も技術も見えているのに、主体の配置が悪くて動かない市場があります。
米国エネルギー省は、賃貸商業スペースの省エネ投資が歴史的に低い理由の一つとして、設備投資を行う建物所有者と、光熱費削減の便益を受けるテナントが異なるsplit incentiveを挙げています。全員が「半分空」を認識していても、誰が費用を負担し、誰が便益を受けるかがずれていれば、合理的な不作為が続きます。
さらに、社会に価値を作ることと、解決者が利益を得ることも別です。David Teeceが整理したように、イノベーターが利益を得られるかは、模倣のしやすさや、製造、流通、ブランドといった補完資産を誰が持つかに左右されます。最初にホワイトスペースを見つけた企業より、後から来た企業や既存の流通網を持つ企業が価値を捕捉する場合もあります。
そこで、個人的には、イノベーションのチャンスを次の四つに分けて考えるのがよいのではないかと最近は考えています。
- Benchmark shift:基準の更新——従来の状態が不十分に見え始めているか。
- Feasible alternative:解決可能性——技術、価格、運用の面で「いまなら解ける」と示せるか。
- Mobilized actor:動ける主体——誰が利用、支払、採用、義務化を決めるのか。
- Capturable value:価値捕捉——解決者が作った価値の一部を、継続可能な形で回収できるか。
「半分空」が市場になるには、認識のアップデートを四つの実装条件へ接続しなければならない、というわけです。
これは別に論文等で論じられているフレームではなく、私が勝手に作ったものですが、足し算、ステップというよりも、掛け算として捉えるのがよいのでは似ないかと考えています。なぜなら、どれか一つがゼロなら、大きな社会課題や研究テーマにはなっても、持続的な市場機会にならない可能性が高いからです。
「空」を決めるのは市場だけではない
新しい合格ラインを作るのは、消費者と技術だけではありません。
2025年6月28日、EUではEuropean Accessibility Actが適用され、電話、コンピューター、電子書籍、銀行サービス、電子通信などに共通のアクセシビリティ要件が課されました。
ここで起きているのは、「より多くの人が使えれば望ましい」という努力目標から、「対象製品やサービスは利用可能でなければならない」という最低基準への移動です。平均的な利用者にとって動く製品でも、アクセスできない人がいるなら不十分だと、制度が線を引き直したわけです。
ただし、規制が線を引けば企業も社会も必ず豊かになる、とまでは言えないのだろうと思います。
日本の製造施設データを使った研究では、厳しい環境規制や税・補助金のような柔軟な手段とイノベーションの間に正の関係が見られた一方、企業業績への直接効果は負でした。103の研究、2,000を超える効果量をまとめた別のメタ分析でも、環境規制と競争力の関係は大きく異なり、最も多い結果は統計的に有意でないものだったようです。
市場が不満を発見することもあります。社会が「これは我慢させてよい不便ではない」と決めることもあります。誰が「半分空」と定義できるのかは、商機だけでなく、権利と責任の問題でもあるのではないでしょうか。
不満を作れば、イノベーションが起きるのか
ここにはもう一つ、この文脈において、私がこれを聞くと見逃せないと思うことがあります。
もし「半分空」という認識が需要を生むなら、企業は人為的に不足感を作ればよいのでしょうか?という論点です。
オンラインサービスで使われるdark patternsの例を見てみましょう。OECDは、選択肢の見せ方によって消費者を誘導、欺瞞、強制、操作し、本人の利益に反する選択へ向かわせる設計を整理しています。FTCも、解約を難しくする、重要条件や追加料金を隠す、広告を独立したコンテンツのように見せる、個人データの共有へ誘導するといった具体的な手法を挙げています。
企業はこれによって、金銭、個人データ、注意を捕捉できるかもしれません。しかし、価値捕捉は、価値創造を意味しません。
不足を強く感じさせるだけでは、望ましい行動につながらない点にも注意が必要でしょう。恐怖訴求をまとめたメタ分析では、平均的な効果は確認されましたが、その効果は「何をすれば脅威を減らせるか」という推奨行動の有効性を示す説明があると強まりました。この研究を企業のイノベーションへ直接一般化はできないでしょうが、不足の認識と解決可能性を分けて考える補助線にはなるのではないでしょうか。
価値創造は選択肢を増やす。欠乏感の操作は、価値を捕捉しても同じものではない。
認識の時差を探す六つの問い
では、結局のところ、起業家や投資家は何を観察すればよいのでしょうか。
私は、「最大の不満」を血眼になって探すより、次の六つを問う方がよいと考えています。
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最大の不満ではなく、不満の意味と実装条件が同時に動き始めた場所を探す。
- 誰が、不便を「仕方ない」で済ませなくなったか。
苦情だけでなく、自作、迂回、手作業、過大な費用負担を探します。行動を伴う不満は、単なる要望より強いシグナルです。 - その人は強く困っているだけか、広がるトレンドの先にいるか。
Lead user研究が示すように、期待便益の大きさとトレンドの先端性は分けて考える必要があります。 - 何が「いまなら解ける」を作ったか。
技術性能だけでなく、価格低下、データ、規制、標準、公共調達、保険、責任分担まで含めます。 - 利用者、受益者、支払者、決定者は誰か。
賃貸建物の省エネのように、この四者がずれるほど、認識と市場の間には深い谷ができます。 - 価値を作る人と、回収する人は一致するか。
以前、イノベーションに必要なのは「賭ける勇気」ではなく、検証によって仮説を更新可能にすることだと書きました。解決を作れることと、顧客を獲得し、運用し、責任を引き受け、価値を回収できることは別です。 - 新しい基準は、人の選択肢を増やすか、狭めるか。
不安を収益化するだけなら、事業機会であっても社会的イノベーションとは呼びにくい。誰の便益が増え、誰がコストを負うのかを見ます。
この六問に答えるには、技術だけでも市場調査だけでも足りません。制度、資本、供給網、信頼、運用を編成する必要があります。その意味では、以前書いたDeepTechの勝敗は、技術の先発性より商業化システムを編み切れるかで決まるという議論ともつながります。技術を資本へ、資本を量産へ、量産を顧客価値へ変える鎖のどこが欠けているか。認識の時差を市場へ変えるのは、資金そのものより、この編成能力なのかもしれません。
水量ではなく、線が動く
コップの水は、最初から半分でした。
変わったのは、水量ではありません。過去を基準に「ここまで来た」と見る線から、実現可能になった未来を基準に「まだ足りない」と見る線へ、社会の合格ラインが動いたのです。
半分空を見ることは、悲観することではありません。昨日まで我慢するしかなかった不足を、設計し直せる対象として捉えることです。
ただし、一部の人に先に見えた空白は、本当に多数派へ広がる未来かもしれないし、その人だけの特殊事情かもしれません。技術的に解けても、支払者がいないかもしれない。市場になっても、価値を作った人が報われないかもしれない。収益になっても、人の選択肢を狭めるだけかもしれない。
だから問うべきなのは、「何が足りないか」だけではありません。
なぜ今、それが足りないと見えるようになったのか。誰に先に見えているのか。何が解決を可能にしたのか。誰が動けるのか。
私は、その問いを重ねた先に、単なる不満ではないイノベーションの機会が見えてくると考えています。
大きな機会は、コップの水が減ったときではない。昨日まで見えなかった空白に、初めて輪郭が生まれたときに現れるのではないでしょうか。
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